鹿児島のホームセンター「ニシムタ」が公正取引委員会から指摘を受け、確約手続による是正を迫られました。問題とされたのは、納入業者に「商品管理費」や「広告協賛金」といった名目で根拠不明な費用を負担させたり、新規開店の際に従業員を無償で派遣させたりしたこと。立場を利用して金銭や労務を引き出す構図であり、まるで昭和の漫画に登場する悪徳商人のような発想が、令和の現実に残っていたのです。

昭和の常識、令和の非常識
「昔は当たり前だった」と懐かしむ声もあるでしょう。昭和の百貨店や量販店では、納入業者が頭を下げてリベートを払い、売れ残り商品を返品され、開店セールには社員を“ボランティア”として派遣する──そんな光景が日常でした。いま思えば「働き方改革?それって何?」と笑ってしまう時代です。
しかし今では事情が違います。流通の主役は百貨店からコンビニやドラッグストアに移り、法の網も細かくなりました。かつて“伝統芸”と呼ばれたやり方は、今では「優越的地位の濫用」として違法の烙印を押されます。ニシムタの件は、昭和の遺産が令和の舞台で“骨董品”のように晒された事例と言えるでしょう。
コンビニ・ドラッグストアに受け継がれる「駆り出し」
それでも商慣習はしぶとく生き残ります。コンビニやドラッグストアの新規オープンでは、今もメーカー社員が棚づくりや陳列に駆り出されることが珍しくありません。表向きは「協力」「協賛」という言葉で飾られますが、実態は“タダ働き”。断れば取引に響くため、業者は笑顔を装って従わざるを得ません。まさに「にっこり顔で強制労働」という皮肉な構図です。
店舗側の言い分は決まっています。「正しい陳列はメーカーが一番詳しい」。しかしそれは「泥棒に防犯マニュアルを書かせる」ようなもの。責任を押し付け、自分はリスクを負わない姿勢は、令和のビジネスとしてはあまりに時代錯誤です。
慣習の延命がもたらすもの
ニシムタ問題は、“古い日本型商習慣”がゾンビのように延命している現実を浮き彫りにしました。「持ちつ持たれつ」と美化されがちな文化も、実態は「持たせて、持たされて、最後は下請けが泣く」という構図にすぎません。これは笑い話ではなく、繰り返される喜劇のような悲劇です。
公取委が動いたのは、一企業の問題を正すためだけではなく、「そろそろゾンビ退治を始めましょう」という社会へのメッセージでもあるでしょう。行政が明確に線を引かなければ、“協力”の名の下に搾取はいつまでも続いてしまいます。
終焉か、それとも温存か
華やかなテープカットの裏で、疲れ切った顔のメーカー社員が棚に商品を並べている──そんな現実を覆い隠しながら「新規開店!」と笑顔を振りまいてきた流通業界。ニシムタの件は私たちに問いを突きつけます。昭和から続くゾンビ商習慣を本当に終わらせられるのか。それとも「日本の伝統」として温存し続けるのか。
少なくとも、公取委に“ゾンビハンター”を演じてもらう日々は、もうしばらく続きそうです。


コメント