国際調査が明かす日本社会の深層
「自分が下手だから、頑張らないといけないと思った」
秋田県の高校バレーボール部で監督から暴力を受け続けた男子部員は、当初こう考えていたという。殴られ、蹴られ、3キロのボールを顔面に投げつけられても——「自分が悪い」と。
加害者は元日本代表の主将。輝かしい経歴を持つ「成功者」だった。
この事件を聞いて、あなたは何を思うだろうか。「またスポーツ界の暴力問題か」と思われるかもしれない。しかし、国際調査のデータは、もっと根深い問題を浮かび上がらせている。
衝撃のデータ:日本の男子生徒は「いじめに反対しない」
PISA(国際学習到達度調査)2018年のデータを使った研究が、驚くべき事実を明らかにした。日本、韓国、イギリス、オーストラリアの4カ国を比較したところ、日本の男子生徒は他の3カ国と比べて、いじめへの反対意識が明らかに低いのだ。
どの国でも「男子より女子の方がいじめに反対する」傾向はある。それ自体は珍しくない。問題は、日本の男子の数値が際立って低いことだ。
さらに驚くのは、日本の男子校で見られた「逆説」である。
普通に考えれば、裕福な家庭で育ち、勉強もできる生徒ほど、視野が広く、他者への配慮もできると思うだろう。ところが日本の男子校では真逆だった。
- 家庭の経済状況が良い生徒ほど、いじめに反対しない
- 数学の成績が良い生徒ほど、いじめに反対しない
つまり、「優秀さ」と「優しさ」が完全に別物になっている。
元五輪代表が「圧倒的支配者」になるまで
データだけではピンとこないかもしれない。冒頭の秋田・雄物川高校の事件に戻ろう。
監督は元Vリーガーで、北京オリンピックにも出場した日本代表主将。誰もが認める「成功者」だ。その人物が2025年5月以降、練習でミスをした部員を繰り返し暴行し、こう言い放った。
「言葉が通じない人間は動物と同じ。体罰ではなく、しつけだ」
被害に遭った部員の保護者は、こう証言している。
「社会的立場が上の監督で、日本代表にも選ばれた実績がある人だからこそ、『圧倒的支配者』になっていた」
実績があるからこそ、誰も逆らえない。成功者だからこそ、何をしても許される——そんな空気が部内を支配していた。
優秀であることや成功していることは、他者への配慮を保証しない。それどころか、暴力を正当化する武器にすらなりうる。
男子校と寮——閉ざされた空間
なぜこんなことが起きるのか。
一つの答えは、閉ざされた男性だけの空間にある。
男子校には男子生徒しかいない。そこでは「いじめに反対しない」意識が、互いに強め合われていく。体育会系の寮生活が加わると、状況はさらに悪化する。24時間、部活の価値観だけに囲まれて過ごす。外の世界の常識は入ってこない。
強豪校の寮には、県外から才能ある生徒が集められる。競争は激しく、結果がすべて。そんな環境では、「弱音を吐かない」「痛くても我慢する」「仲間がやられても口を出さない」——これらが「男らしさ」として称賛される。
実際、今回問題になった雄物川高校も、広陵高校野球部(2025年に寮内暴力で問題化)も、県外から生徒を集める選抜型の強豪校だ。
誰も助けてくれない——沈黙の連鎖
もう一度、冒頭の言葉を思い出してほしい。
「自分が下手だから、頑張らないといけないと思った」
殴られているのに、「自分が悪い」と思ってしまう。これは個人の問題ではない。周りの環境が、そう思わせるのだ。
いじめに反対する意識が低い環境では、こんな連鎖が起きる。
→ 周りの生徒は見て見ぬふりをする
→ 被害者は「誰も助けてくれない」と学ぶ
→ 「声を上げても無駄だ」と諦める
→ 加害者は誰にも止められず、エスカレートする
→ 実際の被害は増えているのに、表に出る件数は減っていく
文部科学省のデータでは、いじめの認知件数は男子の方が多い(男女比で約6:4)。だがこれは氷山の一角だろう。もっと多くの男子が被害に遭っているが、声を上げられずにいるのではないか。
「愛のムチ」という幻想
「でも、厳しく鍛えないと強くなれないのでは?」
そう思う人もいるだろう。日本では長年、「体罰には教育効果がある」という考え方が根強く残ってきた。
しかし実際には、暴力は子どもを萎縮させ、自分で考える力を奪う。専門家はこう警告する。
「暴力を受けた子どもは、短期的には言うことを聞くように見える。だから大人は『効果があった』と勘違いする。しかし本当は、ただ怖くて従っているだけだ。心の成長は止まってしまう」
2012年、大阪の桜宮高校バスケットボール部のキャプテンが、顧問の体罰を苦に自殺した。この事件は社会に大きな衝撃を与えた。あれから10年以上が経った今も、公立学校だけで8年間に8,000人以上の教員が体罰で処分されている。
「愛のムチ」という言葉は、暴力を正当化するための都合のいい幻想にすぎない。
これはスポーツだけの問題ではない
ここまで読んで、「やっぱり体育会系は問題だ」と思われた方もいるだろう。
確かに、スポーツの世界では問題が目立ちやすい。勝敗がはっきりしているし、寮生活があるし、体を使うから暴力の境界も曖昧になる。
しかし専門家はこう指摘する。「体育会系は問題が見えやすいだけで、同じ構造は社会のあちこちにある」
文科省のデータによれば、いじめで最も多いのは「悪口・からかい」(全体の60%以上)で、物理的な暴力は2割程度にすぎない。つまり言葉によるいじめは、スポーツをしていない普通のクラスでも、進学校でも、広く起きている。
問題の本質は何か。「成果」のためなら、人の尊厳を軽く扱ってもいいという考え方だ。
スポーツなら「勝利のため」。学校なら「進学実績のため」。会社なら「業績のため」。そして、成功している人、実績のある人には、多少のことは許される——。
こうした価値観が、社会全体に染み付いている。
「男らしさ」という呪縛
なぜ日本の男子は、他国と比べていじめに反対しないのか。
一つの答えは、「男らしさ」の定義にある。
- 弱音を吐かない
- 痛くても我慢する
- 感情を表に出さない
- 他人の問題に首を突っ込まない
こうした「男らしさ」が、いじめを止める行動を妨げている。「誰かを助ける」「おかしいと声を上げる」ことは、「弱さ」や「余計なお節介」と見なされてしまう。
エリート男子校で、優秀な生徒ほどいじめに反対しないというデータは、まさにこの問題を映し出している。競争に勝つこと、成果を出すことが何よりも重視され、他者への思いやりは後回しになる。
国際比較が突きつけるのは、日本社会における「男性性のあり方」そのものが問われているという現実だ。
何ができるのか
専門家たちは、まず「問題が見えやすい場所」から始めることを提案している。体育会系では、権力構造や閉鎖性の問題が目に見える形で現れる。ここでの対策は、他の領域にも応用できる「実験」になるのだ。
閉鎖的な空間を開く
体育会系なら——部員だけの寮ではなく、他の部活や一般の学生も一緒に住む
学校全体なら——固定クラスをやめ、流動的なグループ活動を増やす
職場なら——部署の壁を低くし、横断的なプロジェクトを増やす
固定的な序列をなくす
体育会系なら——「1軍」「2軍」のような区分をやめ、複数チームで流動的に編成する
学校全体なら——テスト順位の公表をやめ、多様な評価軸を持つ
職場なら——年功序列だけでなく、多様なキャリアパスを認める
声を上げやすくする
体育会系なら——内部告発してもチームが大会に出られなくなるペナルティは課さない
学校全体なら——「チクリは裏切り」という空気をなくし、匿名相談を充実させる
職場なら——内部通報制度を整備し、報告者を保護する
権力の集中を防ぐ
体育会系なら——第三者のコーチや保護者代表が定期的に現場を見る
学校全体なら——複数の教員が分散して指導にあたる
職場なら——評価者を複数にし、一人の上司に権限を集中させない
こうした対策の根底にあるのは、同じ原理だ。閉鎖性を開き、固定的な序列を流動化し、声を上げる人を守り、権力を分散する。
体育会系という「実験室」で効果を確かめ、学校全体、そして社会全体へと広げていく——それが現実的な道筋だと、研究者たちは考えている。
子どもの尊厳を何よりも優先する
2025年の今も、問題は続いている。
広島の強豪野球部では、寮で1年生が上級生から暴行を受けて転校した。愛知のサッカー部では、下宿先の男性が部員に暴力を振るうのを顧問が目の前で見ていながら止めなかった。
問題の根っこにあるのは、こんな考え方だ。
「子どもの尊厳よりも、組織の成果や秩序の方が大事」
この考え方を支えているのが、「弱さを見せるな」「口を出すな」という「男らしさ」の規範であり、「成功者なら多少のことは許される」という誤った認識だ。
いじめや体罰をなくすには、指導方法を変えるだけでは足りない。必要なのは、「強さ」と「優しさ」を対立させない新しい男性像であり、子どもの尊厳を何よりも優先する価値観だ。
国際調査のデータは、この点で日本が大きく立ち遅れていることを示している。
「自分が下手だから、頑張らないといけない」と自分を責めた男子部員。彼を追い詰めたのは一人の監督だけではない。「優秀であること」と「他者への配慮」が切り離され、「成果」が「尊厳」より優先される——社会全体の空気なのだ。
その空気を変えることが、今、求められている。

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