50年続いた「暫定」が終わる? いや、看板を変えるだけです

2025年8月24日、朝日新聞の一面に興味深い記事が掲載されました。「インフラ補修、新税検討 ガソリン減税の代替財源 政府」。この見出しを見て、多くの国民は困惑したのではないでしょうか。
つい1か月前の7月30日、与野党6党は鳴り物入りでガソリン税の暫定税率廃止に合意したばかりです。参院選で示された民意を受けて、ようやく50年以上続いた「暫定」の名を冠した税制が終わるはずでした。
しかし、政府は舌の根も乾かぬうちに、今度は「インフラ補修」を理由に新税の検討を始めたというのです。しかも自動車利用者から徴収する案が有力だといいます。これでは、看板を架け替えただけで、実質的な負担は何も変わりません。
「暫定」という名の恒久税制
そもそもガソリン税の暫定税率には、苦い歴史があります。1974年、オイルショックの最中に「道路整備の財源不足」を理由に導入された1リットルあたり25.1円の上乗せ分は、その名の通り「暫定的」なものだったはずです。
ところが、この「暫定」は半世紀も続きました。途中、2009年には使い道を限定しない一般財源となり、2010年には「当分の間税率」と名前まで変えられました。理由も「道路整備」から「厳しい財政事情」「環境への配慮」へとすり替わっていったのです。
今回、ようやく廃止されるかと思いきや、今度は「インフラの老朽化対策」という新たな大義名分で、実質的に同じ税負担を続けようとしています。これを「看板の架替え」と言わずして何と言えばよいのでしょうか。
参院選の意味を理解しない与党、手詰まりになる政治
2025年7月の参院選で、与党は参院でも過半数を失いました。物価高に苦しむ国民は、生活負担の軽減を求めて野党に票を投じたのです。特にガソリン減税を最重要公約に掲げた国民民主党は議席を大幅に増やしました。
この民意は明確でした。「これ以上の負担に耐えられない」「約束された減税を実現してほしい」。
しかし政府の対応はどうでしょうか。表向きは暫定税率廃止に合意しながら、裏では早々に新税の準備を進めています。年間1兆5000億円の税収減を、名前を変えて維持しようとしているのです。これでは選挙の意味がありません。
さらに問題なのは、この新税構想によって政治が完全に手詰まりになることです。
野党は当然、公約を守るために新税に反対するでしょう。国民からの批判を恐れて、新たな自動車関連税には賛成できません。しかし政府は「財源なき減税は無責任」と批判し、地方自治体も「年間5000億円の税収減は受け入れられない」と訴えます。埼玉県八潮市の下水道管破損による死亡事故などを持ち出して、「インフラ整備の財源は必要」と主張するでしょう。
結果として、暫定税率廃止そのものが宙に浮く可能性があります。与野党の対立が続き、結論が先送りされ、国民が求めた負担軽減は実現されないまま時間だけが過ぎていく。そして最終的に国民は「政治には何も期待できない」という深い失望を抱くことになるのです。
本質的な議論はどこへ
確かにインフラの老朽化は深刻な問題です。高度経済成長期に整備された道路や橋、上下水道は更新時期を迎えています。これに対応する財源が必要なことは理解できます。
しかし、問題はそこではありません。なぜ50年も「暫定」が続いたのでしょうか。なぜ名目を変えながら同じ税負担を続けるのでしょうか。なぜ抜本的な財政構造改革ができないのでしょうか。
本来なら、こうした根本的な問いに向き合うべきです。例えば:
- 本当に必要な歳出は何か、無駄な支出はないか
- 税制全体の中でガソリン税はどう位置づけるべきか
- 受益と負担の関係をどう整理するか
- 地方財政をどう持続可能にするか
これらの議論を避けて、選挙のたびに減税を約束し、選挙が終われば新税を検討する。この繰り返しでは、国民の政治不信は深まるばかりです。
民主主義の本質が問われています
「看板の架替え」で済ませようとする政府。それを許さざるを得ない野党。そして、諦めと不信を募らせる国民。この構図が続く限り、日本の民主主義は形骸化していきます。
必要なのは、与野党を超えた真摯な議論です。インフラ整備も、財政健全化も、国民負担の軽減も、すべて重要な課題です。これらをどうバランスさせるか、国民的な合意をどう形成するか。それこそが政治の役割のはずです。
50年続いた「暫定」を、また新たな名前で続けるのでしょうか。それとも、この機会に本質的な改革に踏み出すのでしょうか。その選択が、日本の民主主義の未来を左右します。
参院選で示された民意を無視して「看板の架替え」で済ませるなら、次の選挙で国民はどんな審判を下すでしょうか。政治家たちは、その意味をよく考えるべきでしょう。

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