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なぜ企業は「海外で稼ぎ」、家計は「国内で縮む」のか ― 経常黒字31.8兆円の違和感

なぜ企業は「海外で稼ぎ」、家計は「国内で縮む」のか ― 経常黒字31.8兆円の違和感

過去最大の黒字と冷めた反応

2025年、日本の経常黒字は31兆8799億円と過去最大を記録しました。財務省が2月9日に発表した数字は、2年連続の更新です。メディアは「輸出好調」「インバウンド過去最高」と景気の良い見出しを並べましたが、この数字を見て素直に喜べた人はどれだけいるでしょうか。「過去最大の黒字」なのに、なぜ自分の給料は増えた実感がないのか。なぜスーパーのレジは相変わらず重いのか。

こうした違和感は、おそらく多くの方が共有されているのではないでしょうか。そして、それは単なる気分の問題ではありません。統計の中身を見ていくと、「日本という国は海外で稼いでいるが、その富は必ずしも日本人の生活に還元されていない」という構造が浮かび上がってきます。しかも、この黒字を支える二本柱――インバウンドと海外投資収益――のうち、片方は早くも崩れ始めているのです。

黒字の正体 ― 「貿易立国」という誤解

まず確認しておきたいのは、今回の経常黒字が「モノづくり日本の復活」を意味するものではないという点です。

貿易収支(輸出-輸入)を見ると、実は8487億円の赤字です。確かに前年より赤字幅は2兆8115億円縮小しましたが、それでも日本は依然として「輸入超過」の状態にあります。半導体など電子部品の輸出は伸びましたが、エネルギー・食料の輸入依存は変わらず、円安による輸入コスト増の影響も残っています。

では、何が黒字を押し上げたのでしょうか。答えは二つあります。第一次所得収支(海外投資からの利子・配当)と旅行収支(インバウンド)です。

第一次所得収支は41兆5903億円の黒字で、経常黒字全体を上回る規模になっています。つまり、「海外で稼いだ投資収益が、貿易赤字とサービス赤字を埋めて余りある」という構図です。旅行収支も6兆3429億円の過去最大黒字で、訪日客の急増が数字を押し上げました。

メディアが伝える「輸出好調で経常黒字拡大」というストーリーは、厳密に言えば実態とずれています。より正確には「企業が海外で稼いだ配当と、外国人が日本で落としたお金で黒字になっている」と表現すべきでしょう。

インバウンドという不安定な支え

旅行収支6兆円超という数字は、確かに華々しいものです。ただ、この黒字には見過ごせない脆弱性があります。

JTBなど大手シンクタンクの予測では、2026年の訪日外国人数は約4140万人と、2025年から減少に転じる見通しです。理由は日中関係の悪化です。中国政府が日本への渡航自粛を呼びかけており、中国・香港市場がインバウンド消費の約24%を占める現状を考えれば、この影響は決して小さくありません。

つまり、2025年の「過去最大の旅行収支黒字」は、ピークアウト直前の数字だった可能性があります。政治リスクに晒された不安定な基盤を、「好材料」として報じ続けることには、やや慎重であるべきではないでしょうか。

記事を読んだ読者が「インバウンド好調で日本経済は安泰」と受け取ってしまうとすれば、それはやや楽観的すぎるかもしれません。本来ならば「旅行収支は過去最大ですが、その一部は特定市場に依存しており、2026年は減少が予想されます」といった注釈があってもよかったはずです。

内部留保という見えない主役

もう一つの柱である第一次所得収支41.6兆円についても、報道は「海外子会社からの配当が増えた」という結果だけを伝え、その背景にはあまり触れていません。

この黒字を支えているのは、日本企業が長年積み上げてきた内部留保です。

2024年度末時点で、日本企業の内部留保(利益剰余金)は636兆円と過去最高を記録しました。このうち約300兆円が現預金として積み上がったままだとされます。企業は「国内市場の伸び悩み」を理由に海外投資に傾斜し、リスクに備えて自己資本を厚くします。その結果、対外直接投資が膨らみ、海外子会社からの配当や海外資産からの利子が第一次所得収支の黒字として計上される仕組みです。

つまり、統計の裏側では「企業が国内で使い切らなかったお金を海外に回し、そこで稼いだ利益が経常黒字として表れている」という構造があります。

ただ、この構図は一般にはほとんど理解されていないように思われます。多くの方のイメージでは、内部留保とは「企業が国内で金庫に眠らせている現金の山」でしょう。まさか、その一部が海外投資に回り、今回の「過去最大の経常黒字」を生み出しているとは、なかなか結びつきません。

分配されない富 ― 労働分配率51年ぶりの低さ

ここで一つ、象徴的な数字を挙げたいと思います。2024年度の労働分配率は53.9%と、1973年度以来51年ぶりの低水準です。

企業は利益を上げています。海外でも稼いでいます。しかし、その果実は従業員の賃金には十分回っていません。経常利益は増えるのに、人件費(給与総額)はほぼ横ばい。結果として、利益の分配先は株主配当と内部留保に偏る傾向が続いています。

第一生命経済研究所などの試算では、物価上昇に伴う家計負担は一人あたり年間数万円規模で増加しており、名目賃金が増えても実質的なゆとりは乏しいとされます。つまり、「海外で稼いだ黒字」は大企業や金融機関、年金基金といった主体には帰属しやすいのですが、平均的な家計の可処分所得としてはなかなか実感しにくい、ということです。

これが、「経常黒字過去最大」というニュースに対して、多くの方が冷ややかな反応を示す理由でしょう。マクロでは黒字・資産大国。ミクロでは実質賃金の伸び悩み・負担増。この二重構造が、統計と生活実感のギャップを生んでいます。

「ため込み批判」を超えて ― 問われる循環の設計

「企業は内部留保をため込んでいる」という批判は、野党やメディアでしばしば聞かれます。ただ、問題の本質は「ため込み」そのものというより、そのお金が国内の賃金・下請け取引・設備投資に十分還流していないという点にあるのではないでしょうか。

法人税を一律に増税すれば、企業の手元資金は減ります。しかし、それが「海外投資が減って国内投資が増える」という結果に直結するかは疑問です。むしろ、国内投資や賃上げ、配当にも抑制圧力がかかり、全体の投資・分配が縮む可能性もあります。

より効果的なのは、インセンティブ型の設計かもしれません。例えば:

  • 賃上げや下請け取引価格の引き上げを行った企業への税額控除
  • 海外子会社からの利益を国内に還流した場合の優遇措置
  • 国内設備投資・研究開発と連動した減税

要するに、「海外で稼ぐな」ではなく、「海外で稼いだ利益を国内循環に組み込む仕組み」を考えるということです。

統計は「誰のための黒字」を語らない

財務省の国際収支統計は、過去のフローを集計したものに過ぎません。対中関係悪化や外交リスクといった将来ショックは、数字には一切反映されません。旅行収支が黒字だからといって、それが持続可能だという保証はどこにもないのです。

同様に、第一次所得収支の黒字が「誰のお金がどこを回っている統計なのか」も、数字だけでは見えてきません。企業が海外で稼いだ利益が、国内の賃金や地域経済にどれだけ波及しているかは、別途検証が必要なテーマです。

にもかかわらず、メディアの多くは「過去最大の経常黒字」という見出しで終わってしまいます。読者には"国全体としては好調"という印象だけが残り、「では、なぜ自分たちの暮らしは楽にならないのか」という疑問は宙に浮いたままになります。

必要なのは「黒字の質」を問う視線

今の日本にとって重要なのは、経常黒字をさらに拡大することではないでしょう。既にある黒字や内部留保、海外投資益を、賃上げ・企業内投資・地域経済にどう循環させるか――そちらの方がはるかに切実な課題です。

物価高、実質賃金停滞、需要不足、少子化。これらの構造的課題を抱える中で、「海外で稼いだお金が国内に十分落ちてこない」という現状は、やはり再検討が必要ではないでしょうか。

統計上の「過去最大」に目を奪われるのではなく、その中身と持続性、そして分配の実態を冷静に検証する。そうした視線が、今こそ求められているように思われます。

「経常黒字31.8兆円」という数字の向こう側には、海外で積み上がる企業の資産と、国内で細る家計の懐という、二つの現実があります。この乖離をどう埋めていくか――それが問われているのではないでしょうか。

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